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木樵(きこり)上映会ご案内


伐って、植えて、育てる そして、命を活かす。

こんにちは。かさはらの家 朱(じゅ)です。

本日はうれしいことにあの宮崎監督が来社してくれました。

宮崎監督というと??

実は長年山の仕事を手伝って下さった弊社の社員のことです。

宮崎政記!!

弊社の山の仕事をお手伝いしてくださりながら、山が大好きで、いつか山の映画を撮りたいとおっしゃられていたのですが、本日映画が完成した旨を伝えに来社してくれました。

今日はその映画をご紹介させていただきます。


タイトルは「木樵」!! ⇐ 「きこり」 と読みます。

きこりとは(以下 Wikipedia 引用)

樵(きこり、木樵)とは、森林の樹木を斧などにより伐採すること、もしくはそれによって生計を立てている者を指す。樵夫(しょうふ)や杣夫(そまふ)ともいう。昔話などにもよく登場する職業である。

「木伐(こ)る」というラ行四段活用動詞(「木」と「伐(こ)る」との複合動詞)の連用形「木伐り」からの転成名詞と考えられる。「伐る」は、「木を切る/伐採する」の意味。




〇木樵とは、木を切る人のことだと思っていた。

 だが、実際の木樵は、木を切り、運び、植え、育てる人であり、地域の祭を行い、語り合い、酒を飲み、山菜や木の実、イノシシや熊の肉を食べ、代々続く先祖を大切にし、子供や孫たちなど家族との団らんを楽しんでいる。彼らの稼ぎは、木を伐倒した量で決まるが、3,40年前と比べると4分の1にしかならない。しかし彼らの笑顔は、その仕事は稼ぎ以上の価値があることを教えてくれる。

 岐阜県飛騨地方にある高山市は、面積の9割以上が森林である。しかし、林業は廃れ、北アルプス、白山連峰に囲まれた森林は荒れている。森林と共に生きる木樵がこの映画の主人公である。林業で4人の子供を妻と育てた木樵は、毎日妻の弁当を美味しそうにに食べる。その後を継ぐことを決意した若者たちもその隣で弁当を食べる。一人は中学生の頃、木樵の父親の働く姿をみて、カッコいいと思ったという。もう一人は、木を切っていた時に、2カ月の重傷を負った。その時辞めようかとも思ったが、木樵の仕事の面白さ、自然の中で働けることの素晴らしさを思い、やめられなかったという。

 気候危機が迫り、近年集中豪雨が頻発し、土砂災害は甚大な被害をもたらしている。その原因は気候変動とともに森林保全の不十分さにもある。森は、豊かな水を受け止め、私たちに美味しい水を与えてくれる。青い空と緑の森は、そこに佇むだけで、私たちの心身を癒してくれる。森は、豊で多様な動植物で溢れ、私たちもその一部であることを教えてくれる。さらに木樵たちが5,60年後のために植林しているように森は縄文時代からの歴史を持ち、そこに流れる豊かな時間こそ私たちが忘れていたかけがえのない宝物である。

 この映画は、木樵とは稼ぎのために木を切る人ではなく、森と動物と人々が共に生きる、そして次の世代も生き続けられる生き方をする人であると私たちに真っすぐ伝えてくれる。ー朝倉美江  金城学院大学教授ー 

〇「林業技術者」という職種がある。木を伐り、運び出す作業の技術者も、この職種に属する。

 しかし、この職種名がら、暮らしや文化、そして、命を扱うという「響き」が感じられないように思う。だが、「林業技術者」を「木樵」と呼び変えた途端、それらの「響き」が、目の前に鮮やかに展開されるように感じる。

 この映画は、時間の流れの中で培われた「山村の暮らし」「森とのかかわり」が、戦後の日本の変化に翻弄されつつ、「現在」の中でも、その「心」を継承していることを語っている。​機械化やIT化を進めようとする模索する林業界。それは、社会の中で生き抜いていく、ある種の必然ではあるが、映像の中で若い木樵が「山の中で生きる知恵。カッコいい!」と表現しているように、「山・森」という「命」を活かす心と知恵があってこそ、技術が「山の暮らし」を支えていけるのではないだろうか。映像に記録された「山の暮らし」が、今後、どのように継承されるか、または消えていくのか。それを考えさせてくれると同時に、後世の比較検証を可能にしてくれる「記憶」としても、価値のあるドキュメンタリーだと思う。

 また、あまりグダグダ考えずに、「木樵って、こんなことするんだ」とか「こんな仕事があるんだ」とか「木が倒れるときって、こんなに大きな音がするんだ」とか山の仕事の一端を感じていただければいいかもしれない。できれば、じっさいの空気感が味わってみたくなって、山へ森へ行ってみよう。となってくれると嬉しいのではあるが……。

 こんな感覚が、山への関心を引き出し、森・林業の実態と背景を、より広く知っていただくきっかけになると思うし、その「関心」が、日本の森や、森を守り使う仕事と暮らしを支える原動力となっていくと思っている。「人は何故その仕事を選択するのか」この問題は、まさに「社会」に翻弄されるのであるが、「山が好き」「達成感がある」と映像中表現された「木樵」のやりがいに加え、より多くの人々の「関心」が、次世代の「木樵」を生み出していくのではないだろうか。

「木樵」見ごたえのあるドキュメンタリーだ。ー伊藤 栄一  森のなりわい研究所(下呂市)ー 



〇今の会社に入社したころ、よく山仕事の手伝いに行きました。

 オフィスから離れて、広々とした場所で体を使って働くことが大好きでした。若かったからかもしれません。笹藪の中を歩き回るというようなきつい仕事もありました。夏にうっかり半袖のままで作業をしていると、腕にひっかき傷や擦り傷がすぐにできてしまいます。山の作業では、半袖ではなく長袖を着ないといけない、というようなことを身をもって学んでいきました。
  
 山で働いたときは、昼めしが楽しみでした。山の人の弁当箱は大きなものでした。「わりご」という木製弁当箱を使っている人もいました。その中には、ご飯がギューッと詰め込まれています。その上にサケの切り身がドンっと乗っかっていることもありました。山の人たちは、私の弁当をみて、「お前に弁当は小さすぎる。そんなことでは仕事ができんぞ」といって笑い、「飯はなぁ、仕事が食うんやぞ」と言いながら、うまそうに食べます。山の人たちは夏でもヤカンで沸かして冷ましたぬるいお湯を飲んでいました。「冷たいものはうまいけど体がだるくなるんや」と。木のことはもちろん、山菜や食用のキノコのこともよく知っています。道具や機械が壊れても、さっさと直してしまいます。自然に逆らわず、そのままを受け入れて、自分たちができることをやる。山の人には、人が生きていく基本が身についている。そんなことを思いました。
 この映画に出てくる「木樵(きこり)」は、そういう山の人です。口数は多くないですが、必要なことは、飾りのない自分の言葉で語ってくれます。こちらからの話もきちんと聞いてくれます。くだらない冗談にもニコニコしておつき合いしてくれます。私は日ごろ彼らと接するときに、そのまっすぐな姿勢やブレの無い言動に深い敬意を感じることがあります。

 新型コロナウィルスのパンデミックが終息した後、どういう生き方をしていくとよいのか。いろいろな議論を耳にします。私は、その一つの答えが、「木樵」の生き方にあるような気がしてなりません。ぜひ、ドキュメンタリー映画「木樵」をご鑑賞ください。心よりお勧めします。ー山田貴敏  笠原木材株式会社 社長 ー



上映は2021年11月7日 日曜日 高山市民文化会館 1F小ホール

4回上映

①10:00 ②13:00 ③16:00 ④18:30 (開場はそれぞれ30分前)

一般: 当日1,200円 /前売り・予約1,000円
高校生以下: 当日・前売り・予約共 500円
前売り販売中: 高山市民文化会館 、 笠原木材㈱にて
予約受付中: 笠原木材㈱ 0577-52-2525 / 宮崎 080-1257-9639



監督・撮影:宮崎政記 構成・編集:辻井潔 制作:「木樵」制作委員会 制作協力:山田貴敏、片岡吉則
構成協力:大宮浩一、北里宇一郎 撮影協力:笠原木材㈱ 宣伝協力:(有)ブレス


2021年|日本|90分|デジタル| ©「木樵」制作委員会

最後に

いかがですか? 私自身実際、弊社の山林部の現場にいく機会が無くて、皆様がどのようにし木を扱っているかをずっと知りたかったのですが、この機会にその謎が解けると思うと今からワクワクしてきます。

皆様もぜひこの機会に「山のお仕事」や「木樵の仕事」などを映像を通じて是非ご体感してみませんか?

2021年11月7日 ですよ!!


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